東京からお蔵が消えていく
お蔵を改造した二階屋に長らく住んでいるのもフリークゆえ。
ただ、表向きはそんなそぶりはこれっぽっちも見せないようにしております。
お蔵に住んでるなんて座敷わらしみたいなヤツだな、なんかカビくさいのはこいつがいるせいじゃないか・・・・
なぁんて、陰でコソコソ言われるのを怖れるからです(ショウシンナヤツデスナ ^^;)。
ですから本来なら、ブログにこんなことを書くつもりはなかったのですが、
書かざるを得ない事態が起きてしまったのです!
だって、ここ数日でショッキングな出来事が2度も立て続けに起きてしまったのですから。
私の住む界隈は、新宿とはいっても下町情緒の残るところで、蔵のある家もポツリポツリとございます。
いや、あったというべきかな。
だって、最も蔵(土蔵)らしい蔵が消えてなくなっちゃったんたですから(>_<;)。
こちらは、在りし日の姿。
2005年9月16日の記事に載せた写真なんですが、
保存状態も良好だし、瓦屋根に欠損もない。
立ち姿も凛々しいでしょう。
これがきれいさっぱりなくなってた。
マンションでも建てるのでしょうか、母屋もすべて壊され整地されておりました。
嗚呼、なんてこったい。
ついこないだ、ある出版社の社長さんと
東京のお蔵話で盛り上がって、
「今度、うちの近所にあるお蔵を巡るツアーをやりましょう」
と約束したところだったのに・・・。
東京って江戸時代から明治期にかけては蔵の町といってもいいくらい町のあちこちに蔵が建っていたようです。
一気に増えたのは、あの八代将軍吉宗の時代。
当時の江戸は「火事と喧嘩は江戸の華」っていわれるぐらい火事が多かった。
その対策として奨励されたのが土蔵づくり。
まず日本橋から神田にかけての地域で土蔵が造られ、その後、四谷、市ヶ谷、そしてうちの界隈である牛込、麹町、小石川・・・・と、徐々に地域が拡大していったといいます。
だけど、街の近代化や再開発、また大震災や空襲に遭うなどして、どんどん姿を消してしまった。
残っているのは数えるほど。
その数えるほどの一軒がまたなくなっちゃった(T_T)。
そんなショックもまだ消えやらぬ昨日、またまたショッキングなものを目撃してしまったのです。
うわっ、あの白い表示板はもしや・・・!
こちらは、隣町にある土蔵なんですが、嗚呼、こっちも風前の灯火なんだぁ。
「建築計画のお知らせ」と書かれた表示板を見ると、今年の5月末から着工して、マンションに建て替えるとなっている。
ううう・・・・この喪失感。
しばらく立ち直れそうにありません。