『バス停留所』(1956 米)
以前観たのは、子供の頃。日曜洋画劇場あたりだったと思うのだけれど、
うん十年ぶりに再見してみて、いやはや自分の記憶がすっかり風化していたことに気づかされた。
なんと僕の記憶の中では、この作品と、同じくマリリン主演の『帰らざる河』がごちゃまぜになっていたのです。
彼女の役柄がちょっと似ているところはあるけれど、時代設定もお話の内容もまるで違うのにね(^^;。
原題:『BUS STOP』(95分)
監督:ジョシュア・ローガン
原作:ウィリアム・インジ
脚本:ジョージ・アクセルロッド
音楽:アルフレッド・ニューマン他
出演:マリリン・モンロー
ドン・マレー
アーサー・オコンネル
アメリカの北西部にあるモンタナ州というと、かなりド田舎なイメージのあるところ。
ちなみに、日本とほぼ同じ面積のところに90万人ぐらいしか人が住んでいないんだそうな。
そんな過疎で自然あふれるモンタナから、若きカウボーイのボー(ドン・マレー)が
先輩のヴァージル(アーサー・オコンネル)に連れられて長距離バスに乗り込むところからお話は始まります。
目的は、アリゾナで行われるロデオ大会に出場するため。
アリゾナだって田舎な感じがするけれど、一度もモンタナから出たことがなく、
しかもカウボーイの修業に明け暮れ、恋のひとつもしたことのないボーにとっては大都会への大冒険の旅だったのでした。
このボー君、『真夜中のカーボーイ』(1969)でジョン・ヴォイトが演じたジョーのように自信過剰で鼻っ柱だけは強い男。
女とつき合ったことがないくせに、自分が好きになった女は絶対自分になびくものだと思い込んでいる。
もし、なびかなくても平気平気、牛と同じようにロープで縛りつけて飼い慣らしてしまえばいいと。
何といいましょうか、そう、西部開拓時代の生き残りのような男。
そんな暴君、いやボー君に惚れられ、「“チェリー”、お前は俺と結婚するんだ」と一方的に宣言されててしまうのが、
マリリン扮する酒場の歌手兼女給“シェリー”。
シェリーの夢は、いつかはハリウッドに出て、ちゃんとした歌手として喝采を浴びること。
その夢を実現するために、テネシーあたりの田舎町から、西へ西へと渡り歩いてきた女。
だけど現実は厳しくて、飲んだくればかりの酒場でウケるのは歌より露出の多い衣装のほうだし、
照明の明暗だって自分でしなきゃならない。
かなりの苦労人です。男性遍歴も重ねてきたようで、男に対して過大な期待は持っていない。
それだけに、一途で一方的なボーの求婚は嬉しいというよりありがた迷惑。
最初は、適当にごまかして柳に風と受け流すつもりだったのだけど、根が正直なシェリーは嘘が苦手。
結局、あまりのボーのしつこさに音を上げたシェリーは町から逃げだそうと決意するのだけれど、
逃げる相手をロープで絡め取るのはカウボーイの得意とするところで・・・。
余談だけれど、マリリンはエイブラハム・リンカーンのことを
父のように尊敬していたといいます。
私生児として生まれた(?)マリリンにとって、リンカーンは理想の父親像だったのかしらん。
そんなことを知ってか知らずか、リンカーンの名演説を、
ボー君がシェリーの耳元でひたすら唱えるシーンがある。
それは「女は男の知性に惚れるんだ」との先輩ヴァージルのアドバイスに従っての行動だった。
「知性=長い文章の暗記」と短絡的に考える。そんな男なんですね、ボー君は(^^;。
この作品でキーポイントになっている色がありました。
それが緑色(エメラルドグリーン)。
シェリーのステージ衣装も緑だし、愛用しているサテンのスカーフも緑色。
緑色は癒しや安らぎの色。緑色を好むのは、その持ち主が癒しや安らぎを求めている証しなのかも。
シェリーの夢は歌手になることだったけれど、一方で自分を癒し、安らぎを与えてくれる人が現れるのを待っていたのかも。
それは暴君、いや、ボー君には一番足りない部分だけに、お話の展開が気になるところですが、
さてさて、この一方的でストーカーまがいの恋の行き着く先、落としどころはどのあたりだと思います?