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映画の心理プロファイル

単一電池

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実家のある九州から見ると東京も被災地の一部に入るように思えるからかもしれないけれど、
物不足や放射能の拡散を心配した妹が単一電池や昆布などを送ってくれた。
気持ちはありがたかった。
たげど、我が家の単一電池を使う懐中電灯は壊れていて活用先が見当たらなかったし、昆布に至っては“もしも”の時は気休めにしかならない。
気持ちは嬉しいけれど、必要とするところには援助物資が届いていない実状などを考えても、妹にはもう少し冷静に、そして視野を広げてもらいたいものだ・・・
なんて偉そうに思っていた。

ところが、昨夜、ちょっとした出来事があった。
キッチンのコンロのスイッチ部分がなぜか点滅しているのだ。
何の点滅だ?
近づいてよく見てみて、やっと合点がいった。
点滅していた理由は「ガスを着火するための電池が切れかかっていますよ」というサインだったのだ。
電池を引っ張り出してみたら、なんと単一電池だ。
ちょっと焦った(その時点では妹が送ってくれたことを忘れていたのです)。
うわっ、単一電池なんて買い置きがないよぉ。どうしよう。
壊れた懐中電灯に入ってた単一電池が使えるかもと思って入れ替えてみたけれど、
とっくに放電していて使い物にならなかった。まだどこも売り切れ状態だろうし、さて困ったぞ。

と、そんな無駄なあがきをした後で、やっと思い出したのです。
妹が送ってくれた物の中に単一電池があったのを。

“備えあれば憂いなし”とはこのことだと、自戒することしきりの夜だった。
そして、心配して届けてくれた妹に恥ずかしながらメールを送った。
「電池役立ったよ、ありがとう」って。


それにしても、つくづく思い知らされたのは、
この便利な生活が自分の気づかないところまで電気に支えられているのだなということ。
そして、それを当たり前のように享受していた。
というか、電気を沢山使うことが文明や文化の高さの証しのように思ってたフシもある。

下の写真を見た時に感じた真っ暗な北朝鮮への哀れみは、まさに“おごり”以外の何ものでもなかったということだな(;^^

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by kiyotayoki | 2011-04-01 12:32 | 閑話休題