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映画の心理プロファイル

隅田川花火 余話

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以前、「名所江戸百景」の秘密という記事を書いたことがあるのだけれど、
隅田川の花火を見て、そういえば「名所江戸百景」の中に両国の花火を描いた作品もあったことを思い出した。

「名所江戸百景」を描いたのは、歌川広重。
目録と118枚の図絵からなるこのシリーズが企画されたきっかけは、前年(1855年10月2日)に江戸を襲った安政の大地震だったといわれてる。
つまり、この「名所江戸百景」は震災からの復興を祈念し、復興しつつある江戸を写し取った作品群であるということ。
安政の大地震のマグニチュードは6.9。
3月の東日本大地震と比べると小規模のように思うかもしれないけれど、直下型だったので江戸市中の被害は甚大。
大規模な火災もあって死者は4千人を超えたんだとか(一説では1万人とも)。

出版が始まったのは、安政2年(1855)10月の地震後4ヶ月を経た安政3年(1856)2月。
その夏に行われた両国の花火を描いたこの絵にも、地震の影響ははっきり見られるらしい。
たとえば、屋形船の数。
船宿自体が地震の被害にあったこともあるだろうし、自粛ムードもあったせいか、隅田川に浮かぶ舟がまばらだというんだね。
そう思って見ると、花火に今ひとつ勢いがない感じがするし、鎮魂の思いが込められているようにも思えてくる。

ちなみに、この年の花火大会の後ぐらいに坂本龍馬は剣術修業で再度江戸にやってきている(1856年8月)。
龍馬の目には、地震後の江戸の町はどう映ったんだろう。
桶町の千葉道場も地震の被害にあっただろうし、
龍馬としては佐那ちゃんが無事かどうか気がかりだったんじゃないだろうか(^-^)。

この花火大会は、1732年に発生した大飢饉とコレラの死者を弔うために、
1733年7月9日、両国の川開きに花火を催したのが始まり(当時花火は20発前後だったらしい)。
元々、鎮魂の思いが込められていたんだね。

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検索していて、興味深いサイトを見つけた。
『「名所江戸百景」と江戸地震』と題されたサイトで、神奈川大学21世紀COEプログラムによる研究成果の一つらしいのだけれど、
「名所江戸百景」に描かれた地震の被害状況や復興状況等などが絵ごとに解説されているので、
興味のある方は覗いてみてはいかがでしょう。

「名所江戸百景」と江戸地震データベース


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by kiyotayoki | 2011-08-30 08:52 | 閑話休題