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映画の心理プロファイル

『カメラが撮らえた 幕末三〇〇藩 藩主とお姫様』

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これは、なかなか興味深いビジュアル本だった。

『カメラが撮らえた
幕末三00藩 藩主とお姫様』


激動の幕末維新を生きた藩主とその細君や姫君たちの在りし日の姿を古写真とエピソードで紹介する歴史ビジュアルブック。
今風にいうと、当時のセレブの皆さんの写真がズラリと紹介されている本。
幕末の古写真というと、女性の写真は革命家とつきあいのあった芸妓ぐらいしか見たことがなかったのだけど、このビジュアルブックは女性、特に上流社会の女性たちの写真が充実しているのが最大の特徴。

いやあ、美しいんですよ、想像以上に♪
皆さん、華奢で細面で、お顔も整っていらっしゃる。
そりゃあね、政略結婚だろうがなんだろうが、選りすぐられた女性が輿入れするんだものね。
そして、何不自由ない生活が代々二百数十年続いていたんだから、もうすっかり貴族化しちゃってるし、ルックスも洗練されていったんだろうな。

ちなみに、表紙を飾っている女性は、佐賀鍋島家に嫁いだ栄子夫人(1855~1941)。
明治になってご主人が特命全権公使として赴任したイタリアじゃ、社交界の花としてご活躍されたそうな。


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こちらは、鹿鳴館時代の名花・戸田極子さん(1857~1936)。
知らなかったけど、この人、岩倉具視の娘だったんだね(美濃大垣藩主戸田氏共の夫人)。
ヘイケガニみたいな顔をしたあの岩倉卿から、よくこんな美形が生まれたものだ(;^^。

だけど、個人的な好みからいったら、やっぱりこの人かな。

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極子さんと同じく、鹿鳴館の花と謳われた陸奥亮子さん(1856~1900)。
この方は、明治時代の政治家で外交官でもあった伯爵・陸奥宗光の奥様。
陸奥宗光といえば、海援隊で坂本龍馬とともに幕府に大政奉還させるべく東奔西走していた人。
幕末の志士の中でも好ましく思う人物の一人だ。
陸奥と亮子さんが結婚したのは明治5年、亮子さん17才の時。
その時、亮子さんが何をしていたのかというと、東京新橋で芸妓をしていたというの。
没落士族の旗本の長女として生まれた亮子さん、家族を養うために15ぐらいで働きに出ていたようなのです。
苦労人だったんだね。
亮子さん、花柳界に身を置きながら、男嫌いという評判があり、かなり身持ちも堅かったそうな。
だけどこの美貌だから、男どもは放っておかない。誰が彼女をモノにするかと囁かれていたらしい。

そんな彼女を“モノにした”のが、先妻の蓮子を前年に亡くしたばかりの陸奥宗光だったというわけ。
どういういきさつでそういうことになったのかは書かれていなかったけれど、陸奥も紀州徳川家の禄を食んでいた家柄。
しかも同じように没落の憂き目にあっていて、共感し合える部分も多かったんじゃないだろうか。
それに、陸奥だって長身でルックスだって悪くない。相思相愛だったんじゃないかな。

それにしても気になるのは、亮子さんのお顔。横顔からじゃなく、正面から見てみた~い!

そこで、探してみました。


ありました♪
それがこちら。

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少々お年を召してからの写真みたいだけど、正面から見てもやっぱりお美しい♪


そうそう、まったく知らなかったので、この本を読んでいてびっくりしたことがあった。
下の写真に写っている女性は、桂小五郎(木戸孝允)の恋人で後に正妻になった幾松(松子)さんらしいのだけど、
その前にいる男の子は、な、なんと、高杉晋作の遺児、東一だというのです。
そういわれれば、お父さんの面影がある。へえ~、高杉晋作には子孫がいたんだ。

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by kiyotayoki | 2012-09-27 16:57 | 備忘録