映画の心理プロファイル

『ブッチャー・ボーイ』(1998 愛蘭)

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原題:『THE BUTCHER BOY』(110分)
監督:ニール・ジョーダン
原作:パトリック・マッケーブ
脚本:ニール・ジョーダン
    パトリック・マッケーブ
出演:イーモン・オーウェンズ
    スティーヴン・レイ
    フィオナ・ショウ
    アラン・ボイル

連休だし、この際ビデオ棚を整理しようとしていたら、強烈な子役が出てくる
作品を忘れていたことに気づきました。
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その子役がこの映画の主役イーモン・オーウェンズ君。
右の写真は近影ですが、当時は12、3才。幼いながらも
ふてぶてしい面構えをしております。この映画でデビュー
ってことは、この面構えだからこその起用だったということ。
それが映画には必要不可欠だったわけです。
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そんな彼を起用したのは、『モナリザ』や『クライングゲーム』
で知られるニール・ジョーダン監督(左)。この作品でベルリン
映画祭監督(銀熊)賞を受賞するんですが、日本ではビデオ
発売のみ。
というのも、この映画の公開前年に神戸で中学生による児童
殺傷事件が起きたせい。12才の少年による惨殺事件を山場にもってくるこの
作品は教育的配慮からお蔵入りの運命に。
けれど、臭いモノに蓋をしただけでは問題が解決しないことは、その後も少年
による犯罪が頻発していることでも明かなのですが・・・・。

お話の舞台は、監督の故郷でもあるアイルランドの田舎町。
中年になった主人公が子供時代を振り返るという形で進行します。
だから時代は米ソ冷戦真っただ中の1960年代初期。
飲んだくれの父(S・レイ)と心を病む母の間で育ったフランシー(E・オーウェ
ン)は町一番の悪ガキ。素行の悪さから、周りから疎外されているフランシー
にとって唯一人の味方は親友のジョー(A・ボイル)だけ。
でもそのジョーにしても、フランシーのニューデント夫人(F・ショウ)と息子の
フィリップに対する執拗ないじめには呆れ顔。
なぜフランシーは彼ら親子に敵意をむき出しにするのでしょう。
フランシーはうまく行かない全てのうっ憤を、ロンドン帰りを鼻にかけるニュー
デント夫人と息子をいじめることで晴らそうとしているのでした。
でもそんな気晴らしは一時しのぎでしかありません。
どんなに貧しくても、せめて両親の仲さえよければフランシーの怒りは鎮まった
かも。でも両親は顔を合わせれば喧嘩ばかり。

ちょっとお堅い話になりますが、マズローという心理学者は、人間の欲求を
以下の5つの段階に分けています。
①生理的欲求⇒食べる、眠るといった欲求
②安全の欲求⇒毎日を安心して過ごしたいという欲求
③親和欲求⇒家族や他人に愛されたいという欲求
④自我の欲求⇒人から認められたい、褒められたいという欲求
⑤自己実現欲求⇒自分の可能性を実現したいという欲求
そして、人は根元的な欲求が満たされるほど、さらに高度な欲求を求める
ようになるのだといいます。
つまり、家族の愛に包まれた経験が少ない(親和欲求が満たされない)と、
自分の夢を実現しようなんて欲求はまず生まれということ。
フランシーがいじめに執着してしまう(その状態に留まっている)のは、両親
に愛されたいという欲求が満たされていないからではないでしょうか。
これは、現実社会で事件を起こす少年達にも言えることかも。
その親達は「いいえ、私はちゃんと愛を注いで育てました」と言うかもしれま
せん。でもそれは果たして子どもたちが欲した愛であったかどうか・・・。

喧嘩の絶えない家庭に嫌気がさしたフランシーは家出をしてダブリンへ。
2人にお灸をすえるつもりもありました。でも、人生って皮肉なもの。
久しぶりに故郷に戻ってみると、出くわしたのは葬式の長い列。それは自殺し
た母のための葬列でした。
自己嫌悪。でもその反動は怒りと敵意となって再びニューデント夫人へ向かい
ます。そして、ついには夫人殺害へとエスカレートしていくのです。
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こんな風に書くと、なんだか怖~い、猟奇的な作品だと思う
かもしれませんね。でも、ご覧になった方はおわかりだと思
いますが、お話はシニカルだけどコミカルに綴られていきます。
ジョーダン監督作品に欠かせない男優スティーヴン・レイは、父親
役と主人公が大人になった役の2役をやっています。(でも、イー
モン君が大人になってS・レイの顔になるとはとても思えませんが・・・)
重いテーマを、少年の視点でこんな風に仕上げたジョーダン監督、やはり
ただ者ではありません。

  
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by kiyotayoki | 2005-02-14 09:15 | 映画(は行)