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映画の心理プロファイル

『ガルシアの首』(1974 米)

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原題:『BRING ME THE HEAD OF ALFREDO GARCIA』
     (112分)
監督:サム・ペキンパー
原作:フランク・コワルスキー
脚本:サム・ペキンパー、ゴードン・ドーソン
出演:ウォーレン・オーツ
    イゼラ・ヴェガ
    ギグ・ヤング
    ロバート・ウェッバー
    エミリオ・フェルナンデス
    クリス・クリストファーソン

正直言って、これ、公開当時に観た時の自分の中での評価は5段階評価で2つ星くらいの作品でした。主人公があまりにも惨めなヤツで共感しにくかったからです。
でも、今回見直してみて評価が4つ星ぐらいに変わってしまいました。
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変わった理由は、やはり観るこちら側が監督や主演のウォーレン・オーツと同年代になったことが一番大きいのかな。主人公の惨めさは、男のロマンの行き着く先のひとつの姿だってことが実感できる歳になっちゃったというか・・・(^^;)。

全編に埃と汗、そして死臭までがまとわりつくこの作品の発端は、メキシコの大地主が愛娘を妊娠させた男ガルシアの首に100万ドルの賞金をかけたことでした。
その懸賞金目当てに無数の男達がメキシコ各地に散ります。
そのひと組が、とある酒場に聞き込みに訪れたことから、主人公との接点が生まれるのです。
主人公のベニーはその酒場のしがないピアノ弾き。どうやらアメリカで食い詰めて、流れ流されてこの店にやっとひっかかったという感じ。ベニーが暗い部屋でもサングラスを外したがらないのは、そんな惨めな自分の過去を覆い隠したいためなのかも。
それにしても、そのサングラスのイケてないこと!
レンズはレイバン風なのに、プラスチックの枠が四角いもんだから妙に大きくて、もう少し枠の色が明るかったらまるでオバサンメガネ。
そのイケてなさが男の惨めさを余計に醸し出してる感じ。

聞き込みに来た男たちには知らぬ存ぜぬで通したベニーでしたが、実はガルシアを知っていたのです。というのも、ガルシアは彼の情婦エリータの元の男だったから。

エリータ(I・ヴェガ)からガルシアが交通事故にあって既にこの世にいないことを知ったベニーは内心ほくそ笑みます。聞き込みに来た男達はガルシアの首だけでも1万ドル(当初は千ドル)払うと言っていた。1万ドルあればこのはき溜めから這い出せる。
1万ドルあれば、どん詰まりの自分の人生にもうひと花咲かせることだってできる。墓を掘りさえすれば1万ドル。こんなうまい話を逃す手はない。
ベニーは、いやがるエリータを説得、ポンコツの赤いシボレー・インパラのコンバーチブルにギターとバスケットいっぱいの食料を詰め込んで、まるでハネムーン気分で町を出ます。見張りの男2人が後をつけてきているとも知らずに・・・。

こうして人生を諦めかけていたやさぐれ男の再起をかけた命がけの戦いが始まることになるんですが、途中で挿入される中年男ベニーと女の盛りを過ぎたエリータとの愛の語らいは、後がない2人だけに切なくて泣かせます。
「金ができたらどこへ行きたい?」
「私、またグアナファトへ行ってみたい。すごく素敵な街だったし」
「ふうん、誰と行ったんだい」
「・・・・」
昔の思い出話になると、こうやって会話はすぐに途切れてしまいます。
もちろん過去を封印しているベニーの口からは思い出話は一切出てきません。『自己開示』できない2人に過去はないのです。
かといって未来はもっとあやふや。
なんとかあるのは今だけ。それを共有するしかない2人なのでした。
けれどその今も突然、暴力的に奪われてしまいます。

傷心のベニーにのこされたのは、蠅がうるさくたかる腐ったガルシアの首と男の意地だけ。このあたりからお話は一気にペキンパー色が強まります。
なにせ“男の意地の爆発と暴走”こそペキンパー映画の真骨頂ですものね。
さて、その行き着く先は・・・

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Warren Oates(1928~1982)
by kiyotayoki | 2005-04-24 15:48 | 映画(か行)