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映画の心理プロファイル

カテゴリ:映画(わ行)( 11 )

『わが教え子、ヒトラー』(2007 独)

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原題:『Mein Führer
     Die wirklich wahrste Wahrheit über Adolf Hitler』(95分)
監督・脚本:ダニー・レヴィ
音楽:ニキ・ライザー
出演:ウルリッヒ・ミューエ
    ヘルゲ・シュナイダー
    シルヴェスター・グロート

Q「ピザとユダヤ人の違いは何?」
A「ピザはオーブンに入れても泣き叫ばない」

Q「ユダヤ人を百人フォルクスワーゲンに乗せるにはどうしたらいい?」
A「4人を座席に、96人は灰皿に」

ユダヤ人はジョークの天才だといわれている。
上の2つのジョークもユダヤ人の作だ。
しかし、ユダヤ人はなんでこんなに毒のある、しかも自虐的なジョークを作るのだろう。

それは、こうしたジョークを世に広めることによって、
彼らが被った悲劇を世の中の人に忘れさせないようにするためでもあるのだそうだ。
人は誰でも相手に都合のいい主張を押しつけられたら反発する。
だけど、ジョークだったらその中にこめられた主張も含めて案外簡単に受け入れてしまう。
ユーモアには相手の武装を解除する力があるのだ。そんな人間心理をユダヤ人たちは巧みに操って、自分たちの負の歴史を世界中の人々の心に深く刻み込ませているんだな。

この映画も、ユダヤ人監督が作ったユーモアをまぶした戦争喜劇だ。しかもかなりシニカルな。
その意味では、監督・脚本・主演したロベルト・ベニーニの『ライフ・イズ・ビューティフル』(1998)と近しい味わいを感じる作品です。

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1944年12月25日、連合軍の進攻によりナチス・ドイツは瀬戸際状態になっていた。
宣伝相ゲッベルスは、来る1月1日にヒトラーの演説を100万人を動員して行い、それをプロパガンダ映画に仕上げて起死回生を図ることを思いつく。
しかし、肝心のヒトラーは心身共に衰弱し、自信喪失状態。とてもスピーチなどできる状態ではなかった。
そこでゲッベルスは、わずか5日間でヒトラーを再生させるという大役をユダヤ人だが世界的俳優アドルフ・グリュンバウム教授に託すことにする。
そして、強制収容所からグリュンバウム教授が移送されてくるが…。

この映画のストーリーはフィクションだ。でも、ヒトラーに発声指導していた教師は実在したという。
監督はその史実を下敷きに、教師をユダヤ人に、時と場所を1944年12月のベルリンにすることで、奇妙な世界をつくり出すことに成功している(ただ、あちこちにちりばめられたユーモアが笑えるかどうかは別だけど)。
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ヒトラーというと、カリスマ性のある居丈だかな指導者のイメージが強い。
でも、ここでは幼い頃に父親に虐待されたトラウマから、孤独に苛まれ、父親に対抗して暴力を志向するようになった哀れな男として描かれている。
戦況が日に日に不利にになっていくのと比例して、心を病んでいくヒトラーがグリュンバウムとの交流によって癒され、彼なしでは生きていられないようになっていくところも面白い。

一方、グリュンバウムにとっては心千々に乱れる日々が続きます。
ナチスの総統ヒトラーを殺す絶好の機会が訪れたのに、ヒトラーの指導をする代わりに担保されている家族の安全を考えると大胆な行動には出られない。
また、自分に縋(すが)りついてくる“教え子”ヒトラーに憐憫の情さえ覚えてしまう。
心理学でいう「共依存」の関係になってしまうんだね。

特殊メイクで余計に哀れを誘う顔になったヒトラーを演じているのは、いかにもドイツ人って名前のヘルゲ・シュナイダーさん。コメディアンで、ジャズミュージシャンとしても活躍する、あちらでは有名な人のようだ。
そして、主人公のグリュンバウム教授を演じているのは、『善き人のためのソナタ』のウルリッヒ・ミューエさん。
この人、2007年の7月に亡くなった・・・、ということはこれが遺作となったのか。残念です。
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by kiyotayoki | 2009-09-14 19:07 | 映画(わ行)

『ワンダーボーイズ』(2000 米)

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原題:『WONDER BOYS』(111分)
監督:カーティス・ハンソン
原作:マイケル・シェイボン
脚本:スティーヴン・クローヴス
音楽:クリストファー・ヤング
出演:マイケル・ダグラス
    トビー・マグワイア
    ロバート・ダウニー・Jr
    フランシス・マクドーマンド

観たばかりの映画、『トロピック・サンダー/史上最低の作戦』
は、おまけ付きのお菓子みたいな映画で、
意外なところで実名の俳優がカメオ出演したり、特殊メイクで扮装した大物俳優が出てきたりして楽しませてくれたけど、そのひとりがトビー・マグワイアだった。

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出てくるのは、高名な神父と禁断の関係にあるゲイの修道士を描いた映画の予告編。
それは、ロバート・ダウニー・Jr扮するオスカー俳優ラザラスの主演作なんだけど、高名な神父役の彼とこっそり手をつなぎ、何食わぬ顔で並んで祈りを捧げているのがトビーなのです。

その2人が、この『ワンダーボーイズ』でも同じようにちょっと妖しい関係になる役で共演していることは、ダウニー・JrファンのRuijiさんがご自身のブログに書いていらっしゃった(^^。
それを先月、NHK-BS2でやってくれたので、僕も予習ができたのでした。

映画の主人公は、かつては天才作家(ワンダーボーイ)と騒がれたものの、出版された本は1冊のみで、その後は7年もの間、終わりの見えない大長編小説を延々と書き続けている大学教授のグラディ(M・ダグラス)。
この《一発当てた後はずっとスランプ状態の作家》というキャラクター設定は、映画の中にはホントによく出てきます。
『D.O.A』でデニス・クエイドがやった役はまさにそんなキャラだったし、生活の糧として大学教授をやっているのも同じ。
『主人公は僕だった』のエマ・トンプソンも長らくスランプ状態みたいだったし、
『小説家を見つけたら』のショーン・コネリーも新作が書けなくて隠遁生活を送ってた。
きっと実際に、そういう作家が山ほどいるのだろう。
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こちらの写真(→)がグラディのプライベートライフ。
手元にあるのはパソコンではなく、長年使い込んだタイプライター。
彼が羽織っているのは、出ていった妻のバスローブ。
この姿が彼の今を雄弁に物語っている。
過去に執着し、過去を捨てられずに生きている男なのです。

そういえばこの映画には、過去への執着を象徴するようなアイテムがいくつも出てくる。

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そのひとつが、マリリン・モンローがジョー・ディマジオと結婚した時、一度だけ袖を通したというジャケット(写真)。
グラディが勤める大学の学長自慢のコレクションなんだけれど、これをグラディの教え子ジェームズ(T・マグワイア)が気まぐれを起こして盗んだことから、物語が動き始める。

このジェームズが、ありがちな話じゃあるけど天才的な素質を持った作家のタマゴ、つまりワンダーボーイであることがわかって、グラディ担当の編集者テリー(ダウニー・Jr)が色めきだち、
ちょっと妖しい関係になっちゃうんですが、それは置いといて・・・。

お話は、過去への執着・愛着を象徴するものを登場人物たちが捨てて、前向きな人生を手に入れることができるかというところが焦点となって進んでいくことになります。
派手な展開はないものの、登場人物たちの謎の行動の理由がだんだんわかってくるサスペンスタッチの構成や、フランシス・マクドーマンド、リップ・トーンといった脇を固める顔ぶれも魅力的で(ケイティ・ホームズはあまり魅力的じゃなかったけれど^^;)、十分楽しめる一編に仕上がってた。
監督は『L.A.コンフィデンシャル』のカーティス・ハンソンで、脚本が『ファビュラス・ベイカー・ボーイズ』のスティーヴン・クローヴスだから、楽しめたのは当然かもしれないけどね。


【印象に残ったセリフ】

「(マリリンのジャケットを巡り巡って恋人からプレゼントされた女性に)
 そのジャケットはマリリン・モンローが着ていたんだ。
 彼女は肩幅が狭かった。君のようにね。
 意外だがね」

抱きしめると、壊れてしまいそうな華奢な肩の持ち主・・・
 マリリン・モンローが今も多くの人、特に男性に愛されるのは、このせいもあるんだろうな(^~^
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by kiyotayoki | 2008-12-09 10:21 | 映画(わ行)

『私がウォシャウスキー』(1991 米)

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原題:『V.I.WARSHAWSKI』(89分)
監督:ジェフ・カニュー
原作:サラ・パレツキー
脚本:エドワード・テイラー他
音楽:ランデイ・エデルマン
出演:キャスリーン・ターナー
    ジェイ・O・サンダース
    アンジェラ・ゴーサルズ
    チャールズ・ダーニング

推理作家サラ・パレツキーが創作した女探偵 V・I・ウォーショースキー (映画ではウォシャウスキーと表記) が活躍するサスペンスドラマ。
印象に残る映画タイトルだけど、
最初から最後までちゃんと観たのは今回が初めて(^^ゞ

主役のヴィクトリア・ウォシャウスキーを演じるのは、キャスリーン・ターナー。
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彼女のキャリア(女優歴)からすると、
上の写真と下の写真(←)の中間あたりの出演作。

この映画の撮影時36歳の彼女、顔にも野太い声にもかなり貫禄が出始めているものの、まだ自慢のスタイルはなんとか維持している感じ(^^;

でも、この後の出演作『シリアルママ』(1994)になると、なんというか、もう取り返しのつかないほどの凄みと貫禄を身につけた女優さんになっていらっしゃるんですが・・・w( ̄▽ ̄;)w

Vはヴィクトリアの略。だけど、彼女はこの大時代的な名前がお気に召さないらしく、知り合いには「ヴィク」とか「ヴィッキー」と呼ばせてる。
そんな彼女のこだわりは
特に、いい男を見つけるためのとっておきの靴が赤いラメのパンプス。
一方、ジョギングやどこかへ忍び込む時など運動性を重視する時はスニーカー。
家でくつろぐ時は柔らかなスリッパ・・・・と、履く物を使い分けてる。
この靴の使い分けには、女だてらの探偵家業で男っぽさと女らしさを使い分けなきゃならない彼女の生き方を象徴させているんだろうな。
靴はセクシャルなアイテムなだけに、性の使い分けを象徴させるにはぴったりだし。

そんな彼女が靴を半分なくしてしまうシーンがある。
赤ラメパンプスで見事に釣り上げた男が爆死。その事件の真相を調べていた彼女が街(シカゴ)を牛耳るマフィアに拉致された時だ。
ヒールの高い靴の片方をなくし、ふらつきながら歩く姿に、彼女の不安な心理がうまく表されていた感じ。
この一件で、彼女はマフィアのボス(高校の同級生だったらしい)から、グーで顔面を殴られた上、これ以上この事件に首を突っ込むなと脅されるんだけど、それぐらいでメゲる女じゃありません。それでメゲてちゃ探偵家業はつとまらない。

彼女は、数少ない味方である新聞記者のボーイフレンドやシカゴ警察の部長の助けを借りながら、真犯人を突き止めるべく、ファンデーションで青あざを隠し、勇躍悪に立ち向かっていく。

ま、いま観ると(たぶん当時観ても)TVムービーに毛がはえた程度の映画ではあるんだけど、その分、馴染みのTVシリーズを見るような安心感を覚える作品ではありましたよ。

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by kiyotayoki | 2008-05-18 11:29 | 映画(わ行)

『ニコラス・ケイジの ウェザーマン』(2005 米)

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原題:『THE WEATHER MAN』(102分)
監督:ゴア・ヴァービンスキー
脚本:スティーヴ・コンラッド
音楽:ハンス・ジマー、ジェームズ・S・レヴィン
出演:ニコラス・ケイジ
    マイケル・ケイン
    ポープ・デイヴィス
    ニコラス・ホルト

タイトル通り、お天気キャスターのお話です。
主役のデイヴを演じるのは、珍しく豊かな(!)髪を垂らして横分けにしているニコラス・ケイジ。共演は、このところ年に2本は映画に出て渋みの増した演技を披露してくれているマイケル・ケイン(この人が出てるだけで映画の格が上がる感じ)。でもって監督は、『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズのG・ヴァービンスキー。
役者はそろってる。なのに劇場未公開だったんですね、これ。
内容が地味でほろ苦いコメディドラマだからかなぁ・・・。
でもだからって、タイトルに『ニコラス・ケイジの~』って謳うのはなぁ。
なんか「内容は地味ですけどね、ニコジーが出てるんですぜ。お願いしますよ、旦那ぁ」って猫なで声で押し売りされてるような気になっちゃう。
ちゃんとした作品なんだから、もう少し自信を持ってもらいたいもんです。

シカゴのローカルTV局で天気予報を担当しているデイヴの人生は、仕事面は曇り時々晴れ。だけど私生活のほうはというと、梅雨前線停滞中という感じ。
というのも、妻とは離婚、2人の子ども達は思春期で会話もちぐはぐになってしまいがち。しかも、父親(M・ケイン)には子どもの頃から頭が上がらない。なにしろ父のロバートは、ピュリッツァー賞作家。同じ有名人でも、自分はしがないお天気キャスター(しかも予報官の資格なし)。父親の向こうを張って小説を書いてみたものの、別れた妻には馬鹿にされ、父親には読んでももらえていない。

そんなデイヴに朗報が届きます。
NYの全国ネットのTV局からお天気キャスターのオーディションを受けてみないかという誘いがあったのです。もしその仕事をゲットできれば、年収は倍増するし知名度もアップする。そうなれば妻もヨリを戻してくれるのではないか。そう思ったデイヴは関係修復にしゃかりきになるんですが、努力すればするほど裏目に出て・・・。

あなたにも、やることなすこと裏目に出た経験、ありはしませんか?

心理学では、くり返し人間関係をこじらせたり、悲しい結果を招いたりする行動パターンのことを「ゲーム」と呼ぶことがあります。ここで、デイヴが演じてしまうのは「キック・ミー(私をけ飛ばしてくれ、私を拒絶してくれ)」のゲームと呼ばれるものかも。
このゲームには、相手を挑発して、自分を拒絶、処罰させようとする目的が隠されているのです。だけど、やってる本人はまさか自分で自分をおとしめてるとは思いもよらない。
だから、「なんでいつもこうなるんだ?俺はこんなに頑張ってるのに」と嘆くばかり。

なぜそんな行動をとってしまうのか。
それは「自分はダメな人間だ」ということを自分にも他人にも認めさせようとする無意識の衝動が働いてしまうから。
この行動は「自分はOK」と心から思えるようになるまでは、悲しいかな続けてしまうというから困ったもの。

「恩を仇で返された」経験が何度もある人にも同じ心理が働いている可能性あり(^^;。相手がうんざりするほどのお節介を焼くことで、相手の気持ちを自分から遠ざけていることに気づいていない場合があるからです。
そういう人は、恩を仇で返した人を恨む前に、まず「自分はダメな人間だ」という思い込みを払拭する必要があるのかも。

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by kiyotayoki | 2007-02-06 11:06 | 映画(わ行)

『ワールド・トレード・センター』(2006)

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原題:『WORLD TRADE CENTER』
(129分)
監督:オリヴァー・ストーン
脚本:アンドレア・バーロク
音楽:クレイグ・アームストロング
出演:ニコラス・ケイジ
    マイケル・ペーニャ
    マギー・ギレンホール他

見終わって複雑な気持ちになる映画でした。
2001年9月11日に起こったあの惨事に遭遇しながら、奇跡的に生還した2人の港湾警察官の物語。

実話を元にしたストーリーなので、お話は物語の定石通りにはいきません。
フィクションならタワーに向かった港湾警察官たちは献身的に何がしかの救出活動を行ったに違いありません。そこが見せ場のひとつでもありますものね。
けれど、実話だからそうはいかない。タワーに入った途端、あの大崩壊に見舞われてしまう。これで死んでいたら全くの犬死にです。
幸い、4人のうち3人は瓦礫のすき間でまだ生きていた。
うち2人は瓦礫に挟まれて身動きできなかったけれど、1人は元気に動き回ることができた。これは天恵か・・・。そう思ったのも束の間、小さな二次崩壊が一番元気だった警官の命をいとも簡単に奪ってしまう。
残されたのは、身動きできない2人。
班長のマクローリン(N・ケイジ)と新米警官のヒメノ(M・ペーニャ)だけ。
無線機は壊れて役に立たない。
声を限りに叫んでみても応えは一切返ってこない。
希望といえば6mほど上方から微かに届く光だけ。
さて、2人は如何にしてこの無間の底から脱出することができるのか・・・。

こんなに俳優の顔のアップを見せ続ける映画はそうはないでしょう。
それでも130分、飽きたりダレたりすることはありません。
それはやはり実話の強みと、事実の重さと、ストーン監督の演出の巧みさがあった故だと思います。
それでも見終わった後、どうも心が落ち着かない。
2人の生還を素直に喜べない。
なぜか・・・それを書いてしまうと、映画の中味にもっと触れてしまうことになるので、まだ公開中につき今回はここまでにしておこうかなと・・・。  
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by kiyotayoki | 2006-10-16 00:48 | 映画(わ行)

『わすれな草』(1999 香港)

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原題:『半支煙 
  DOWN IN SMOKE』(101分)
監督・脚本:イップ・カムハン
出演:エリック・ツァン
    スー・チー
    ニコラス・ツェー
    サム・リー
    ケリー・チャン
    アンソニー・ウォン
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新聞のテレビ欄でエリック・ツァンの名を見かけ、眠い目をこすりながら観た作品です。『インファナル・アフェア』の彼があまりにも印象的だったものですから(^^。
エリック・ツァンというと、昔はただの気のいいトッチャン坊やって感じでしたが、随分貫禄もついたし、役者としての幅も広がった感じ。そりゃまあ当然かな。『七福星』(1985)あたりからずっとご無沙汰してたんですから。
なので、『七福星』(32歳)から『インファナル・アフェア』(49歳)の間の彼の作品を観てみたいなぁと思っていたところだったんです。

映画はテレサ・テンの曲が流れる中、静かに始まります。舞台はブラジル。エリック・ツァン扮するヒョウは、ある事情で30年間この地に身を隠して暮らしていたようです。旅支度をしているのは香港へ帰る決心をしたから。
映画のポスターは若手の人気俳優ニコラス・ツェーが全面にフィーチャーされていますが、主役はエリック・ツァンなんですね(^^;。
ヒョウは薄くなった頭にカツラを装着すると、ボストンバッグに銃を一丁ねじ込んで住み慣れた家を後にします。目的は、自分をこんな境遇に追いやった宿敵・九龍(S・リー)と決着をつけること。そして、30年前に見初めた女性(S・チー)と再会すること。ヒョウがシガレットケースの中に大切にしまっている吸いかけのタバコは30年前にその女性がくれたものなのです。
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果たして彼女は今も自分を忘れないでいてくれるだろうか・・・。俺は忘れていないだろうか・・・。
しっとりとした日本のタイトル『わすれな草』は、そのあたりの主人公の心情を表しているのでしょう。ちなみに、わすれな草の名は、英語の花言葉「forget me not」を訳したものなのだとか。
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香港に戻ったものの、そこはもう別世界。浦島太郎のように途方に暮れるヒョウは、ひょんなことからチンピラのスモーキー(N・ツェー)と知り合います。これ幸いとばかりにヒョウはスモーキーのアパートに転がり込み、借金で首の回らない彼に札束をちらつかせて九龍と謎の女を捜す手伝いをさせることにします。
ここからが結構長い。長いけど、でも味わいはあります。それを我慢しさえすれば、最後は感動ものです。エリック・ツァンが益々好きになること請け合い。それくらい“いい仕事”してます。ついでに、健気なニコラス・ツェーのファンにもなっちゃうかも。
ついでに、悲しい場面で流れるテレサ・テンの曲(曲名忘れちゃいました)のファンにもなっちゃうかも。「同意の原理」といって、人は、悲しい時には悲しい気分にピッタリの曲が聴きたくなる生き物みたいなのです。

あ、忘れちゃいけない。
この映画、嬉しいことに『インファナル・アフェア』シリーズのレギュラーメンバーである、ケリー・チャンやアンソニー・ウォンもちょい役だけど印象的な役で登場するんですよ。
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by kiyotayoki | 2005-07-08 23:14 | 映画(わ行)

『ライフ・イズ・コメディ!ピーター・セラーズの愛し方』(2004 米英)

原題:『THE LIFE AND DEATH OF PETER SELLERS』 (125分)
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監督:スティーヴン・ホプキンス
原作:ロジャー・ルイス
脚本:クリストファー・マーカス
    スティーヴン・マクフィーリー
音楽:リチャード・ハートレイ
出演:ジェフリー・ラッシュ
    シャーリーズ・セロン
    エミリー・ワトソン
    ジョン・リスゴー
    スティーヴン・フライ
 スタンリー・トゥッチ 

亡くなってもう四半世紀経ってしまったせいか、ピーター・セラーズはなんだか伝説的コメディ俳優になってしまった感があります。
僕自身、セラーズをリアルタイムで観たのは『別れの街角』(1973:コメディというよりペーソス溢れる作品だったよ~な^^;)が最初だったので、若かりし頃の彼は後にTV等で観た映画の中でしか知りません。だからか、セラーズがラジオの世界から映画の世界へ飛び込んだ頃からの生き様と死に様を描いたこの作品は懐かしさもありましたが、それこそ伝説的コメディアンの伝記映画を見るような感覚も正直味わってしまいました。
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ピーター・セラーズを演じるのは、オーストラリアが生んだ演技派俳優ジェフリー・ラッシュ。
表情といい喋り方といい、クリソツ(そっくり)です。ただ、撮影時のラッシュは52歳。若き日のセラーズ(29歳)を演じるのは少々無理があったかなぁ。
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やや無理があったのはラッシュだけじゃありません。『ピンクの豹』を演出したブレイク・エドワーズの当時の年齢は40歳。それを演じたジョン・リスゴーは58歳。
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『博士の異常な愛情』の監督スタンリー・キューブリックの当時の年齢は35歳。それを演じたスタンリー・トゥッチは43歳。そのせいか、役者のハゲ率が高いせいか、これほどカツラ着用率の高い現代劇は珍しいかも(^^;

さて、この映画の日本語タイトルは『ピーター・セラーズの愛し方』となっています。この映画を見る限り、セラーズという人はかなり自己チュウでワガママな人だったようです。その原因は、母親の溺愛。おかげでセラーズは大人になっても超マザコン(「映画の中では」という但し書きが必要かもしれませんが)。
“自制心”というものを教わらずに大人になったセラーズは、妻子がいるにも関わらず共演することになったソフィア・ローレンに一目惚れ。浮気ではなく一気に本気モードに突入してしまいます。当然、それは妻の知ることになり、悩んだ妻は自分も浮気に走ってしまいます。
それを知ったセラーズは激怒。原因を作ったのは自分なのに、怒りにまかせて部屋をめちゃくちゃにしてしまいます。それだけ自尊心も強い人なんですね。
しかしまあ、セラーズは才能のある有名人(しかも金もある)だったからまだよかった。
なぜなら「自己中心的で、自尊心の強い人」ほどストーカー的な恋愛をしやすく、下手をすると暴力的な行為に出かねないからです。
偏った愛し方しかできなかったセラーズでしたが、妻との破局後も、ブリット・エクランドという美人女優のハートをゲットできたのは、持って生まれた才能(と地位とお金)のおがげだったのでしょう(長続きはしませんでしたけど)。
そうそう、年齢的に無理のあった役者陣の中にあって、唯一無理なくのびのびと演技していたのはブリット・エクランド役のシャーリーズ・セロンだったかも。
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「どうしてあなたはフランス人の警部をあんなにうまく演じられるんですか」
と尋ねられたセラーズが、こう答えるシーンがあります。
「それは、僕が僕自身というものを持っていないからさ」
自分が無地だから、何色でも、どんな柄にでも染めることができる・・・。
セラーズが一人で何役もこなせた秘密がそれだったんでしょうか。
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この映画では、主演のラッシュがセラーズのお株を奪うほどの七変化を見せてくれますよ。
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by kiyotayoki | 2005-07-03 18:55 | 映画(わ行)

『笑の大学』(2004 日)

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(121分)
監督:星 護
原作・脚本:三谷幸喜
音楽:本間勇輔
出演:役所広司
    稲垣吾郎
    小松政夫

「国家による言論・思想の統制」が映画の縦軸になっているので、前回のつながりで取り上げてみました。

お話の舞台は昭和15年の東京。紀元2600年、本来なら東京オリンピックが開かれるはずだった年です。けれど日中戦争は泥沼状態で、米英列強と戦うことになる太平洋戦争は目前に迫っているというわけで、平和の祭典を開いているどころではなく、開催はあえなく中止。
政府は戦争への機運を高めるべく、言論・思想の統制をより一層強めていきます。そのあおりを食ったのが当時庶民の“娯楽”のひとつだった軽演劇だったんですね。
軽演劇集団「青空貫太一座」の座付作家である主人公の椿 一(稲垣吾郎)は、ある日、警視庁に呼び出されます。新作台本の検閲を受けるためです。検閲官は慇懃丁寧だけれど高圧的な面も多分にある役人体質丸出しの男、向坂睦夫(役所広司)。
2人の服装の色がそれぞれの性格を象徴的に表しています。作家の服は「自己アピールしたい」という欲求を表すオレンジ主体の色。一方の検閲官は「自己コントロールしたい」という欲求を表す紺色で全身を固めているといった具合。
元が舞台劇ということもあって、映画はほぼこの2人の検閲室でのやりとりだけで進行します。なのに面白い、笑える。それがこの作品の真骨頂でしょうか。
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「今まで一度も腹から笑ったことがない」という検閲官の向坂は“笑い”をまったく解せない男。そんな男に台本の中の“笑い”について問答無用で削除・変更を迫られるんですから作家は大変です。

個人的な思い出ですが、大学時代に民放ではない某TV局でコメディの台本を書かせてもらったことがあります。ところがお堅い放送局だったので、“笑い”に関していろんな注文というか検閲が入るんですね。
お話の舞台を相撲部屋にしたのがマズかったのかもしれませんが、「デブを馬鹿にする笑いは禁止」「たとえコメディでも稽古場の土俵に女を入れるな」「相撲協会批判にとられる表現はダメ」とかなんとか一々チェックが入って・・・。台本を書き直すこと7回(;_;)。
だから、稲垣吾郎演じる座付作家のつらい気持ちはよ~っくわかりました。と同時に、「あんたはエライ!」と脱帽もしてしまいました。
だって、ボクの場合は書き直すごとにボロボロの台本になってったのに、椿の書く台本は逆にどんどん面白くなってっちゃうんですから。

なにはともあれ、この作品は是非舞台でも観てみたいものです。

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by kiyotayoki | 2005-06-12 15:52 | 映画(わ行)

『ワイルドバンチ』(1969 米)

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原題:『THE WILD BUNCH』(146分)
監督:サム・ペキンパー
原作:ウォロン・グリーン
    ロイ・N・シックナー
脚本:サム・ペキンパー
    ウォロン・グリーン
出演:ウィリアム・ホールデン
    アーネスト・ボーグナイン
    ロバート・ライアン
    ウォーレン・オーツ
    ベン・ジョンソン
    エドモンド・オブライエン
    エミリオ・フェルナンデス

GW、暇なもので、ためて込んでいた映画を夜中、一気に消化中です。
昨夜見たのは『ワイルドバンチ』のディレクターズ・カット版で、最初に公開
されたヤツより9分位尺が長いようです。でも以前の記憶が薄れてるので
どこが未公開シーンなのかは不明ですけれど^^;。
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久しぶりに見て、この映画のオープニングタイトルって
西部劇にしては斬新だったんだな、と改めて感心。
西部劇っていうと、シンプル・イズ・ベストって感じで
赤文字タイトルが画面にデーンと出るだけってのが
普通なのに、この映画はカラーの映像が、タイトルや
出演者名が画面に出る時だけ右の画像のようにクールなモノクロに切り替
わるという凝った仕掛け。
白と黒は“死”をイメージする色。作り手は登場人物たちの将来をタイトル
でも暗示させたかったのかもしれません。
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この作品は“滅びゆくアウトロー達への挽歌”であり、観客
から見捨てられつつあった西部劇への挽歌でもあります。
その舞台としてペキンパーが選んだのは、1913年の動乱
続くメキシコ。
独裁統治を続ける政府に対してパンチョ・ヴィラやサパタと
いった革命家達が蜂起した時代です。
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そんな時代背景を知る映画としてはエリア・カザン監督作
の『革命児サパタ』(1952)や『戦うパンチョビラ』(1968)
があります。『戦うパンチョビラ』にはペキンパーも脚本で
参加しているので、この映画を作るのに大いに役立ったこ
とでしょう。
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そんな時代背景のせいか、パイク(W・ホールデン)を
首領とする無法者たち(ワイルドバンチ)が携帯している
銃は、もうリボルバーではありません(パイクのホルダーには一応リボルバ
ーが納まっていますが、結局最後まで使用することはありません)。
コルト・ガバメントという、今でも見かける自動拳銃。銃器には詳しくないの
で検索して調べてみたら、1911年に米陸軍の正式拳銃になって以来、
74年もの間、第一線で使用された拳銃なんですって(・o・)!
1913年に生きる彼らが持っていて不思議ではないわけです。

お話は、銀行襲撃に失敗したパイク一味が、旧友ソーントン(R・ライアン)
率いる賞金稼ぎたちの追跡を逃れながらメキシコへ落ち延びてくるところ
から始まります。
「もう俺たちの時代じゃない」と、一発大きく稼いだら引退しようと思っている
パイクらは、政府軍のマパッチ将軍から米軍の武器輸送列車襲撃を依頼
されると、それを応諾。見事成功させ、大金を手にします。
けれど、1つだけ誤算が。仲間のひとり、メキシコ人のエンジェルが政府軍
に拘束されてしまったのです。
そのまま見捨ててしまえば、気楽な引退生活が待っている。
なのにパイクたちはその道を選ばす、エンジェルを取り戻す道を選びます。
敵は200余名の軍隊。こちらは4人。
映画史に残る無謀かつ壮絶なガンファイトがいよいよ始まります。

『葉隠』に「武士道とは死ぬことと見つけたり」という有名な言葉が出てきま
すが、死を覚悟して活路を見出そうとする男たちの滅びの美学を、これで
もかってほどの銃弾と血糊で表現したペキンパー渾身の一作です。

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《参考作品》
『わらの犬』(1971 米)
『ガルシアの首』(1974 米)
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by kiyotayoki | 2005-05-03 14:20 | 映画(わ行)

『わらの犬』(1971 米)

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原題:『STRAW DOGS』(115分)
監督:サム・ペキンパー
原作:ゴードン・M・ウィリアムズ
出演:ダスティン・ホフマン
    スーザン・ジョージ
    ピーター・ヴォーン
    ピーター・アーン
    デヴィッド・ワーナー

『卒業』、『真夜中のカーボーイ』、『ジョンとメリー』、『小さな巨人』、と着実に
キャリアを積み上げていっていたダスティン・ホフマンが、『ワイルド・バンチ』
(1969)で一躍時代の寵児となった監督サム・ペキンパーと組んで世に送り
出した衝撃の問題作です。
舞台は、イギリスの地味ィな片田舎。主役のホフマン以外はたぶんすべて
イギリス人。アメリカ映画とはいっても、色調も雰囲気も英国映画風。
ですから、何の予備知識もなく見始めたら、まさかこれがペキンパー作品だと
は思わないかも。

天体数学者のデヴィッド(D・ホフマン)が妻エミー(S・ジョージ)とアメリカから
その土地へ引っ越してきたのは、静かな環境に隠って研究三昧の生活がした
いという望みがあったから。ここに決めたのは、妻の地元であったことが一番
の理由。
妻エミーは、ノーブラにセーター姿で町を闊歩する自由奔放な女性で、デヴィ
ッドの言葉を借りれば精神年齢は「14歳並み」。甘えん坊なだだっ子タイプ。
当時20歳のスーザン・ジョージが、夫を困らせる若妻の役をイキイキと演じて
います。
一方のデヴイッドは、学者にありがちな堅物タイプ。慎重で事なかれ主義の
男。性格面でも行動面でも水と油のような2人ですから、きっかけは一目惚
れだったんでしょう。で、お互いのことをよく知らないうちに電撃結婚しちゃっ
た。そのせいか、まだ新婚っぽいのに、2人の間には早くも亀裂が入り始め
ています。
エミーの地元への移住は、関係修復のためでもあったのかも。

2人の新居は、田舎町の郊外に建つ古くて堅牢な一軒家。まるでデヴィッド
の精神性を象徴したような家です。エミーには息苦しい家。だから快適に暮
らすため、町の若者を雇ってあちこち修理を始めます。
けれど、それが災いの火種となるのです。
雇われた4人の中には、エミーのかつての恋人がおり、何かと秋波を送って
きますし、他の3人も色っぽい若妻に粗野な欲望を募らせています。
一方で、彼らはデヴィッドには密かに嫌悪の感情を抱いていました。村一番
の美人を手に入れたのが仲間ならまだしも異邦人のヤンキーだったから。
しかもそのヤンキーは粗野な自分たちと違ってインテリ学者ときてる。
嫌悪の感情の出どころは、どうやら劣等感からくる嫉妬心のようでした。

人は自分の中にある劣等感を認めたくない時、問題を外部にすり替えます。
それが嫉妬という形で表に出てくることがあるし、もっと攻撃的な形で表れる
こともあります。
彼らは、最も卑劣な形でその嫉妬の感情をむき出しにします。
デヴィッドを猟へ誘い出し、その間に自宅にいたエミーをレイプしたのです。
これは当時としてはかなり衝撃的なシーンでした。
彼らはデヴィッドにも牙をむきます。
デヴィッドが、彼らの探していた知的障害者(D・ワーナー)ヘンリーをかくまっ
たため、家に押し掛けてきたのです。
妻のエミーは関わり合いになるのを恐れてヘンリーを引き渡そうとしますが、
デヴィッドは頑なに拒否。彼らに渡せばリンチに遭うのは明かだからです。
「この家はボク自身だ。絶対、奴らは入れない!」
それが事なかれ主義だった男の宣戦布告の言葉でした。
手荒に扱うと、すぐにバラバラに壊れてしまいそうな“わらの犬”でも吠え、
敵に立ち向かうことだってあるのです。

仲裁に入った町の有力者が男達に殺されるに至って、事態は抜き差しならぬ
展開に。凶暴化した男達はドアや窓を壊し侵入を図ります。
それを阻止するべく孤軍奮闘するデヴィッド。
いよいよペキンパーの本領発揮。1人対5人の戦争の幕が切って落とされま
す。
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by kiyotayoki | 2004-11-29 10:04 | 映画(わ行)