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映画の心理プロファイル

『真夜中のカーボーイ』(1969 米)

『ブルース・ブラザース』に続く“バディ(相棒)もの”は、いで立ちがソックリな『メン・イン・ブラック』で決まり、
と思ってビデオ棚を探していたら、「アッ!」。
“バディもの”で、この作品を忘れちゃいけませんよね。
アメリカン・ニュー・シネマと呼ばれた作品群の中でも、群を抜く評価を得た作品です。
夜遅かったんですが、さっそく久しぶりに再見。

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原題:『MIDNIGHT COWBOY』(113分)
監督:ジョン・シュレシンジャー
原作:ジェームズ・レオ・ハーリヒー
脚本:ウォルド・ソルト
音楽:ジョン・バリー
出演:ジョン・ヴォイト
    ダスティン・ホフマン
    ブレンダ・ヴァッカロ
    シルヴィア・マイルズ

オープニング。ニルソンの歌う「噂の男」が流れてきて、気分は一気にこの映画を見た当時へタイム・スリップ
(公開当時は、この映画には精神年齢が追いつかず、初見は大学に入ってから名画座で、でした)。
テキサスの片田舎の食堂で皿洗いをしていた若者ジョー(J・ヴォイト)は、一念発起、
大好きなカウボーイスタイルに身を固めバスでNYへ向かいます。
誰に聞いたのか、NYの金持ち女は男を金で買うらしい。だから自慢の肉体さえ駆使すればNYでは左うちわで生活できる、
とジョーはお気楽に皮算用していたのです。

けれど、その道中、断片的に挿入されるジョーの回想シーンを見ていくと、
ジョーがただのお気楽男というわけではないことが徐々に伝わってきます。
幼い頃から母親の実家(祖母)にあずけられて育ったジョーは、愛情とは無縁の生活環境の中で育った男でした。
発達心理学によれば、そういう子が成人すると他人を信用できず、恋愛もうわべだけのつき合いになってしまいがちだといいます。その意味では、金で買う買われる男女の関係は、ジョーにとっては願ってもないことだったのかも。

しかし大都会NYは甘くはありませんでした。
1日足を棒にしてやっと巡り会った有閑マダムは、金をくれるどころかタクシー代をせびってくるし、
街で知り合った小男には騙されてまたサイフの中身を減らす始末。
そうこうしているうちにホテル代もなくなり、ジョーはNY滞在数日で早くもギブアップ状態。
そんな時、ジョーは見つけたのです。自分を騙した小男を。
怒。憤。恨!

しかし、そんな感情をぶつけるには、小男はあまりにもひ弱過ぎました。
始終咳き込み、足をひきずって歩くその姿は、丸一日何も食っていない自分より弱々しく見えたのです。
小男の名は、リッヅォ(D・ホフマン)。
怒る気力をなくしたジョーは、非を詫びたリッヅォに連れられて廃屋の中へ。
そこはリッヅォのあだ名“ラッツォ(ネズ公)”にふさわしい腐った寝ぐらでした。
悪臭も凍る冬でなければ、1分も持たずに逃げ出していたかも。
この日から、大都会のはみだし者同士の情けなくも侘びしい共同生活が始まります。

今回改めて見てみて驚いたのは、ジョーが案外、そんな生活を楽しんでいるように見えたことでした。
日々弱っていくリッヅォの世話を、イヤな顔ひとつせず黙々と、時には嬉々としてこなすジョー。
『共依存』という言葉があります。自分に依存してくる相手の世話をしているうちに、依存されることが生き甲斐になっていく心理傾向を言います。
ジョーは、リッヅォの世話をすることで、生まれて初めて自分が「誰かに必要とされる人間である」ことを実感し、
それに無上の喜びを感じたのではないでしょうか。
親からも世間からも疎まれて生きてきたジョーだけに、その思いは強かったはず。
だからこそ、ジョーはやっとつかみかけた夢を捨ててでも、リッヅォの夢を叶えてやろうとしたのだと思います。
それはリッヅォにとって天国のような土地、マイアミへ行くという夢。
ジョン・バリーが作ったハーモニカによる切ないテーマ曲が流れる中、ジョーは歩けなくなったリッヅォを抱えるようにして、“天国行き”のバスに乗り込みます。

 
by kiyotayoki | 2004-11-27 10:49 | 映画(ま行)