遠野の五百羅漢
まず向かったのは駅から3㎞ほどのところにある五百羅漢という観光スポット。
3㎞なら歩いて30分位だし、朝の散歩がてらに丁度いいかなと思ったのだ。
行ってみてよかった♪
五百羅漢というので、川越・喜多院のように石像が整然と並んでいる様子を想像していたのだけど、
こちらはまるで違ったからだ。
まず眼前に現れたのは、かなりの勾配の登り坂。
それをヨイショヨイショと登っていくと、
昼なお暗い木立のなかに苔むした大小無数の自然石があっちにゴロン、こっちにゴロン。
だけど、石像らしきものは一向に見えてこない。
見えてこないわけだ。ここの羅漢様は石像の形をしていないのだから。
岩の表面に羅漢様の輪郭が線で刻み込まれているだけなのだ。
まことに素朴な羅漢像でありました。
しかも雨や風雪にさらされてきたせいか、風化が激しくて、どこが顔かも判然としないものが多い。
その上、苔が被っているから見逃してしまうものも多々あった。
だけど、自然の中に隠れるようにひっそりと佇むその姿はかえっておもむきがあり、
また彫った人の思いが伝わってくるような気がした。
この羅漢像が岩に刻み込まれたのは江戸時代の後期のことらしい。
表示板には次のようにあった。
…………………………………………………………………………………
今よりも平均気温が3度も低かった江戸時代、高冷地の遠野はしばしば凶作に見舞われ、
宝暦5・6年(1755・6年)、天明2年(1782年)などの大飢饉には多くの被害者を出しました。
心を痛めた大慈寺の義山和尚は、その供養のため明和2年から数年をかけてこの五百羅漢像を彫り上げました。
…………………………………………………………………………………
羅漢というのは、悟りを開いた仏弟子たちの尊称らしい。
義山和尚は餓死した人々の魂をせめて成仏させたい(悟りを開かせたい)と願って岩に像を刻み続けたんだろうか。
夏だというのにヒンヤリとした冷気が漂う羅漢の岩山。
そこに佇みながら、去年被災し命を落としてしまった万を超す人たちの魂が
行き場を失って彷徨っていないことを願わずにはいられなかった。