『グラン・トリノ』(2008 米)
原題:『GRAN TORINO』(117分)
監督:クリント・イーストウッド
原作:デヴィッド・ジョハンソン ニック・シェイク
脚本:ニック・シェイク
音楽:カイル・イーストウッド マイケル・スティーヴンス
出演:クリント・イーストウッド
ビー・ヴァン
アーニー・ハー
クリストファー・カーリー
ジョン・キャロル・リンチ
いきなりスクリーンに映し出されたのは、モノトーンの、
まるで墓標のようなワーナーブラザーズのロゴマーク。
それを見て、この映画の行く着く先に不安を覚えたのは僕だけじゃなかったと思うな。
でも、物語が始まって、ちょっと安心した。
自分の妻の葬式で喪主を務めるウォルト役のクリントは、いつもの偉丈夫、そして、いつもの鋭い眼光だったから。
そして思った。クリントみたいに年をとった時こそ、背広にネクタイは必需品だなって。引退したサラリーマンが途端に老け込んで見えるのは、見映えをキリッと整えてくれる背広にネクタイをしなくなるからでもあるんだろうな。
葬儀にはウォルトの2人の息子とその家族も参列しているんだけれど、
この2人が母親似なのか、クリントとは似ても似つかない中年太りのオヤジたちで・・・。
2人は、会話のやりとりの中で主人公であるウォルトの人となりを一気にまとめて紹介してくれる。
これは下手くそな脚本の常套手段。・・・と思ったら脚本家が新人と知ってちょっと納得。
新人なのは脚本家だけじゃない。ウォルトが後に深く交流することになるモン族(東南アジアからの移住者)の人たちもオーディションで集められた素人同然の人たち。クリントには自分の知識や経験を手垢のついていない人たちにできるだけ吸収してもらいたいという願望があったのかもしれないな。
それだけに、作劇や演技の面でもたつきを感じる場面はあったけれど、作品自体は心に深く残るものだった。
タイトルにもなっているグラン・トリノは、1972年製のフォード車のこと。
50年もフォード社の製造工場に勤めていたウォルトは、その愛車が自分でハンドルをつけた車であることを誇りにしている。
形こそ古いが外観や車の機能は新品同様。
それはウォルト自身の理想の姿を具現化・投影化したものといえるかも。
ただ、理想は理想。現実のウォルトは若いゴロツキたちに負けない気概と胆力は保持しているものの、体力の衰えは隠しようもないし、ウオルト自身がそれをしっかり自覚してる。
そのせいか、ウォルトが愛車と一体になる(運転する)シーンは結局一度もなかった。
お話は、オーソドックスな西部劇のスタイルを彷彿とさせつつも、病める多民族国家であるアメリカの今を頑固で自己本位な老人ウォルトを通して描き出していく。
そうしたお話の中で、クリント・イーストウッド監督は、いかにも彼らしいやり方で俳優クリント・イーストウッドに最後の花道をつくってやるのです(それには息子のカイルも音楽で手助けしてる)。
ああ、本当にこれで見納めになっちゃうのかな、俳優としてのクリント・イーストウッド。
だけど、嘆いていても仕方がない。
この映画のための画像を探していたら、こんなのを見つけました。
Tシャツの胸に染められた文字は、EVERLAST(永遠に)。
俳優業はやめるかもしれないけれど、クリントさん、映画への情熱はまだまだ衰えることはなさそうです♪