
原題:『LE ROI ET L’OISEAU』(85分)
監督:ポール・グリモオ
脚本:ジャック・プレヴェール
ポール・グリモオ
音楽:ジョセフ・コズマ
1953年に公開されたという『やぶにらみの暴君』の完全版として27年後に再公開された仏国製アニメです。
今回、観ることができたのはsantapapaさんのおかげ。ありがとうございます♪

お話の舞台は、20世紀初頭(?)のヨーロッパの某王国(タキカルディ王国)。左の画像が国を治めるシャルル3+5+8=16世その人。


なんだか、ホモオダホモオを演った時の石橋貴明の青いひげ剃り顔と津川雅彦の濃い顔を足して2で割ったようなお顔の御仁。
性格は自己チュウにして超ワガママ。気に入らない人間は全てボタン一押しで穴に落として消去してしまいます。この日も自分の肖像画をモデルそのままに“やぶにらみ”に描いてしまったというだけで画家を奈落送りに。
天に伸びる王宮のてっぺんにあるペントハウスに引きこもった王は、自分でちょこちょこっと“やぶにらみ”をつぶらな瞳に絵を修正すると満足して安らかな眠りにつきます。
と、深夜に何やら人の気配が。正確には、それは人ではなく絵の中に描かれたエントツ掃除の若者と羊飼いの娘でした。ふたりは愛し合っており、王宮から逃げ出そうとします。それに横恋慕してきたのが絵に描かれた王。このフェイク王、ルックスもそっくりなら性格もオリジナルそっくりだもんだから、物音に起きてきた本物の王をボタンひとつで消去。自分が王になり代わっちゃった。
そして、王宮の兵だけでなく巨大ロボットまで総動員して逃げ出した2人を捕まえにかかります。多勢に無勢。嗚呼、ふたりの運命やいかに。
そういえば、この王様みたいに自己チュウでプライドの高い男ほどストーカーになりやすいと言われています。

でもご安心を。ふたりには強い味方がいるんです。それが右の鳥くん。王宮に巣くっているんですが、射撃の的に小鳥を撃ち落とそうとする王とは以前から犬猿の仲。だから、ふたりを助けようと奮闘してくれるんですね。
さて、このお話、どんな結末が用意されているのでしょうか・・・。
(個人的には、ラストのエピソードが気に入りました、とっても♪)
なお、ポール・グリモオが執念で作り上げ、日本のアニメ作家にも多大の影響を与えたといわれるこの作品の脚本を担当したジャック・プレヴェールは完成を見ずして77年に亡くなったそうです。合掌。


原題:『THE SECRET ADVENTURE
OF TOM THUMB』(60分)
監督・脚本・撮影:デイヴ・ボースウィック
音楽:ジョン・ポール・ジョーンズ
『ウォレスとグルミット』でお馴染みのアードマン・スタジオでカメラマンをしていたというデイヴ・ボースウィック監督が、グリム童話の『親指トム』をグロテスクかつ悪夢的に、でも愛らしくアレンジした人形アニメです。

全体を覆うダークな雰囲気や実写との合成手法などは、チェコが生んだ才人ヤン・シュワンクマイエルの影響を強く受けている感じ。

子供のいない夫婦に生まれた親指サイズの赤ん坊“親指トム”のお話です。両親は貧しいながらも、ゴミ捨て場から人形用のミニチュア家具や服を拾ってきてはトムに着せたりして大切に育てておりました。が、ある日突然、平和は破られます。謎の男達が突然アパートに闖入、トムを連れ去ってしまったのです。
ちゃんと描かれてないのでよくわかりませんが、この世界は全体主義国家のように支配者階級と労働者階級がハッキリ分かれており、支配される側のトムの両親は支配する側に属する謎の男達に抗う術を持っていないようです。

拉致されたトムが連れていかれたのは奇怪な実験施設。そこは人為的に奇形化されたクリーチャーがビーカーや檻の中でうごめくおぞましい世界でした。

トムが拉致されたのも異形の子だから。身体は親指サイズだし、見かけは幼児というより胎児。『2001年宇宙の旅』のあの子みたいというか、胎児の状態で脳以外は成長が止まっちゃった子って言ったほうがいいのかも(ヨーダも胎児顔ですね、考えてみたら)。
奇怪だけど、声や仕草が可愛いので、だんだん愛着を感じてくるのが不思議。
トムは半分機械のトカゲの助けで研究ラボを脱出、なんとか両親のもとへ帰ろうとするのですが・・・。

赤ちゃんの写真を見せると、女性は瞳孔がパッと広がる(男性は女性ほどは広がらない)という心理実験結果がありますが、さて、トムを見たらどんな反応を示すんでしょうね^^;。



大きな金が絡むところには決まって政治家も絡んできます。
「まさかこっちにまで飛び火してこんじゃろうな」
って戦々恐々としてるセンセイ方がいないことを祈りたいもの。
さて、渦中の人である姉歯建築士。
「姉歯」なんて苗字があるの、初めて知りましたが、
宮城県に姉歯という地名があるそうです。
そちらのご出身なんでしょうか。
だとしたら、その地方の方たちは憤慨してらっしゃるでしょうね。
「わたしらの名を汚しおって」って。


件の姉歯氏、初めて見たときから誰かに似てるなと思ってましたが、『オースティン・パワーズ』に出た時のマイク・マイヤーズに似てるんですね。性格は陰と陽ですが、頭にのっけてるものも似てるし^^;。
ただ、『オースティン・パワーズ』には笑えるところもあるのに、姉歯氏のほうはまったく笑えない。
これは大きな違いだし、ヤバいです(>_<)。

原題:『ETERNAL SUNSHINE OF THE
SPOTLESS MIND』(107分)
監督:ミシェル・ゴンドリー
脚本:チャーリー・カウフマン
出演:ジム・キャリー
ケイト・ウィンスレット
キルステン・ダンスト
マーク・ラファロ
イライジャ・ウッド
トム・ウィルキンソン
五感の研究の分野に『プルースト効果』という言葉があります。
これは、マルセル・プルーストの小説『失われた時を求めて』の主人公が、紅茶に浸したマドレーヌの匂いと味から幼少期の思い出を鮮明に蘇らせたというエピソードにちなんで名づけられたもの。
過去の記憶を思い出す手がかりとしては、“匂い(嗅覚)”がすごい力を発揮するということです。
この映画の中にも「記憶には感情の芯がある」という台詞が出てきます。
忘れてしまったと思い込んでいる記憶でも、その芯さえ残っていれば何かの拍子で(たとえば匂いをきっかけに)思い出すことができるということ。
けれど、「芯を取りのぞけば記憶は消える」ということでもありますよね。

それを取りのぞく装置を開発したのが『バットマン・ビギンズ』にも出ていたトム・ウィルキンソン演じるDr.ハワード。ラグーナ社というクリニックを開業しており、嫌な記憶、都合の悪い記憶を消したいと望む客で結構繁盛しているようです。
そこへやってきたのが主人公のジョエル。喧嘩別れしたクレメンタインが自分との思い出をここですべて消してしまったと聞いて、ヤケになって「ならば自分も」と決意した模様。この2人を演じているのがジム・キャリーとケイト・ウィンスレット。この映画ではキャラクターが逆転。ジムは内気で寡黙、ケイトは積極的でアナーキーなキャラを演じているので新鮮でした(たぶんやってる本人たちも)。
作業としては、まず脳の記憶図を作り、クライアントを眠らせている間に一昼夜かけて新しい記憶から順に消していきます。
だから観客は、2人の恋愛模様を逆にたどって見ていくことになるんですね。

ところが、施術が始まった途端、ジョエルは後悔し始めます。
なぜって、嫌な記憶が消えるだけでなく、2人で紡いだ素敵な記憶も感情も消えてしまうのですから。それが何ものにも代え難い宝物であることに気づいたジョエルは必死に抵抗しようとします。でも身体は眠った状態。
だからジョエルは無意識の世界で記憶を消されまいと必死に抗います。消去から逃れようとするビジュアル表現が時にシュールで、時にコミカル、時に感情に訴えてきてすごく魅せられます。
監督の腕の見せどころ。また、『マルコビッチの穴』の脚本家のペンの走らせどころです。
さて、ジョエルは大切な記憶を守り通すことはできるのか。
もし守りきれなかったら、2人はどうなってしまうのか・・・。
興味の尽きない展開がラストまで続きます。
結末が書けないのがなんとも歯がゆい感じ。
ただ、見終わって、どれだけ記憶が消去されたとしても、懐かしい“匂い”が心の奥底にこびりつついた2人の思い出を呼び覚ましてくれることを信じたい、切にそう思いました。


原題:『THE SHAWSHANK
REDEMPTION』 (143分)
監督・脚本:フランク・ダラボン
原作:スティーヴン・キング
音楽:トーマス・ニューマン
出演:ティム・ロビンス
モーガン・フリーマン
ウィリアム・サドラー
ボブ・ガントン
ジェームズ・ホイットモア
グロリアさんが紹介してらっしゃったゾンビ映画『ショーン・オブ・ザ・デッド』が見つからなかった代わりに「ショー・・・」つながりで借りてきた作品です。
10年ぶりにDVDで見ました。

原作は、スティーヴン・キングの『刑務所のリタ・ヘイワース』。ヘイワースは1940年代、セックスシンボル的女優さんだったみたいですね。さて、この女優が刑務所とどう絡むのか・・・。実は、これが重要なポイントになります^^。
浮気した妻とその愛人を殺した罪で終身刑となったエリート銀行員アンディ・デュフレーン(T・ロビンス)がショーシャンク刑務所に入所してきたのが1947年。以来19年に渡る刑務所生活が所内で彼が最初に知り合った囚人レッドの語りで綴られていきます。

レッドを演じるのは、『宇宙戦争』でも渋い語りを聞かせてくれていたモーガン・フリーマン。当時56才(さすがに今よりうんと若く見えます)。レッドは刑務所や収容所には欠かせない存在である『調達屋』。
殺風景な独房の壁にアンディが貼ることになるリタ・ヘイワースのポスターも、レッドが調達したもの。このポスター、刑務所生活が長くなるごとに、50年代には『七年目の浮気』のマリリン・モンローに、60年代には『恐竜100万年』のラクエル・ウェルチに貼り替えられていきます。
長~い刑務所生活を描いた秀作に『パピヨン』(1973)がありますが、同じ無実の罪での投獄でも、『パピヨン』のほうはキャラクターも濃くて脱獄を繰り返す波瀾万丈の物語。一方こちらの主人公は真面目が取り柄の銀行員で、脱獄の気配もない。それで面白くなるんだろうかと、初めて見たときは不安になったものですが、いやいやいや、再見の今回でさえお話にどんどん引き込まれてしまいました^^。
まず、主人公を生真面目が取り柄のコツコツ地道な銀行員にした意味がちゃんと幾重にもある。見た人なら納得ですよね^^。
しかも、伏線がさりげな~く、しっかりあちこちに張り巡らされていて、最後の最後で見事に収束するから、すごいカタルシスがある。
敵役の刑務所長や看守長も嬉しいほど憎々しい。やっぱり敵役はこうでなくっちゃ(そうそう、所長室の壁に「主の裁きはくだる。いずれ近く」という聖書の言葉が飾られているんですが、これもちゃんと伏線になっておりました)。
所長は自己中心的で自尊心の強い男。このタイプは「相手がどのように思っているか」という対人認知が苦手で、物事すべてを自分の都合のよいほうに解釈しがち。所長が墓穴を掘るとしたらそのあたりに・・・。
もちろん、人間ドラマとしても十分に楽しめるエピソードがふんだんに盛り込まれているんですから、引き込まれないわけがないか^^。
あんまりホメてばかりだとナンだから一つケチをつけると、19年もすさんだ生活をしてるのに主人公があまり老け込まないのが難点といえば難点、かな。


このところ、連日BS2でやっている懐かしのTVドラマ『コンバット』。
一昨日見た作品は演出・脚本があの『マッシュ』(1970)のロバート・アルトマンということで興味深く見ました。
この日のエピソードのタイトルは『一人だけ帰った(原題:『CAT AND MOUSE』)』。
独軍の攻勢に押され気味の米軍は、状況を打開しようと斥候を出して情報収集を図りますが、独軍の守りは想像以上に堅く何度出しても犠牲者が増えるばかり。
それでも情報は必要と、斥候から帰ってきたばかりのサンダースを案内役に立てて新たな斥候隊が組織されます。斥候隊のリーダーはサンダースと同じ階級のジェンキンズ軍曹。
軍隊は階級社会。ふたりの頭がいるとどうなるか、先行きが心配になりますよね。その上、この2人がまるで水と油。
ジェンキンズは古参兵でリーダーたることに生き甲斐を感じる猪突猛進タイプ。一方、サンダースは以心伝心を旨とする不言実行タイプ。
案の定、ジェンキンズは敵意丸出しで歴戦の勇士サンダースを「若いの」呼ばわり。さすがのサンダースもカチ~ン^^;。
なぜ水と油の人は打ち解けにくい?
水の性格の人は油の性格を心の奥に抑圧しているし、油の性格の人は水の性格を抑圧している。なのに相手は自分が抑圧しているものを平気で表に出している。それを見せつけられるのって、やっぱりいい気がしないんですね。だから無意識に反発を覚えちゃう^^;。

2人の反発は、敵の狙撃兵や地雷で部下をなくし、水車小屋に閉じ込められても続きます。
なぜ閉じ込められちゃったかって?独軍の一部隊が2人がいるのを知らずにそこを仮設の司令部にしちゃったから。
2人はまさに袋の鼠状態。打開策が見つからない状況に業を煮やした猪突猛進ジェンキンズはサンダースの目を盗んである賭けに出ます。自分が捕まることで敵から情報を得ようと試みたのです。命と引き替えの危険な賭けでした。
そのおかげてサンダースはただ一人なんとか情報を持って帰隊でき、な~んだ勇敢な兵士の美談話で終わるのかと思いきや、ここからがアルトマン監督の真骨頂。
サンダースが報告しようとすると、作戦を指揮した大尉は「ご苦労、あとで報告を聞こう」と、去っていこうとするじゃありませんか。「?!」。わけがわからずサンダースが食い下がると、大尉から意外な言葉が返ってきたのです。
「今朝、敵の暗号が解読できた。だから情報はもう必要ないのだ」
・・・なんという皮肉。
肌の合わないヤツではあったものの、命をかけてまで自分に情報を持ち帰らせてくれたジェンキンズの努力は何も報われないのか・・・。
納得できないサンダース。しかし、そこはTVドラマ。シリーズを続けていくためにはサンダースに自重を強いなければなりません。
サンダースは唇を噛みしめながらこう言うしかありませんでした。
「妙なもんです。会った途端に嫌いになったのに・・・、そのくせヤツのことは一生忘れんでしょう」
アルトマン監督が、戦争を風刺し笑いのめした快作『マッシュ』をつくるのは、この数年後のことです。


原題:『BATMAN BEGINS』(140分)
監督・脚本:クリストファー・ノーラン
原案・脚本:デヴィッド・S・ゴイヤー
出演:クリスチャン・ベイル
マイケル・ケイン
リーアム・ニーソン
モーガン・フリーマン
ゲイリー・オールドマン
渡辺 謙
ケイティ・ホームズ
ルトガー・ハウアー他
評判が良かった上に出演者の顔ぶれが豪華なので、
レンタル開始を心待ちにしていた作品です。
ゴシックホラーは英国人俳優にかぎるとよくいいますが、その系譜に連なる当作品でもそれが踏襲されているようです。主演のクリスチャン・ベイルからしてイギリス人ですしね。

バットマンシリーズとしては8年ぶり、5作目。今回はブルース・ウェインがどんな幼少時代を送り、いかにしてバットマンになったかが陰影の濃い映像で描かれていきます。
ある日、幼馴染みのレイチェルと遊んでいて誤って井戸に落ちたブルース少年は、暗がりから群をなして飛び出してきたコウモリに襲われ、トラウマになるほどの恐怖を味わいます。
意外なことに、バットマンにとってコウモリは恐怖の対象だったんですね。
その上、両親が目の前で射殺されるというショックが重なり、彼の心には悪への憎しみと、えも言われぬ恐怖心がいばらのように絡みついてしまった。
それを解きほぐしてくれたのは、ヒマラヤ奥地で巡り会った“影の同盟”という闇の組織。その頭目が渡辺謙扮するラーズ・アル・グール。でも出番はあまり多くありません^^;。
ブルースを心身共に鍛える指南役はリーアム・ニーソン扮するデュガード。
デュガードによって、ブルースは悪と闘う力と、恐怖に打ち勝つ強靱な心を身につけるんですね。バットマンとしての基礎はここで培われたって感じ。
自分の中の深い闇を昇華させゴッサムシティに戻ってきたブルースは、表向きは金持ちのプレイボーイとしてゴシップ誌を賑わせながら、自宅ではせっせとバットマンの衣装や装備づくり(案外手作りだったのね)に励み始めます。
それをサポートをするのは、父の代からウェイン家に仕える忠実で頼りになる執事アルフレッド(今回からは名優M・ケイン。大物過ぎてどうかなと思いましたが、さすがにいい味出してます。ウィットに富んだセリフも絶妙!)。
それに、父が遺した会社の応用科学部の窓際社員フォックス(M・フリーマン)。このフォックスが装備関連の技術面を強力サポートしてくれたおかげで、生身の人間であるブルースが無敵のスーパーヒーローになり得たんですね。
今回の敵は、堕落した人間から地球を救おうとする(つまりそういう人間を抹殺しようとする)組織。それが実は“影の同盟”だったんですね。けれど、ブルースはそういう人間も、そしてそういう人間に苦しめられている人々も救いたいと思ってる。これじゃ対立せざるを得ませんね。
「人は価値観の近い人を友に選ぶ」という心理法則があるように、ブルースは自分と同じ考えを持つ幼馴染みで検事補になっていたレイチェル(K・ホームズ)とゴードン刑事(G・オールドマン:最近いい人役が多いですね)と力を合わせて、腐敗したゴッサムシティを荒療治していくことになります。

俳優陣では、久しぶりにルトガー・ハウアーの元気な姿を見ることができたのは嬉しいかぎり。 今回はブルースの会社乗っ取りを図る幹部の役でしたが、もし続編ができたら復讐に燃える役でまた出てきてくれるかも(^_^)v。

そうそう、主演のクリスチャン・ベイルって、スピルバーグ監督作品『太陽の帝国』の主人公の子だったんですってね。いやあ、知らなんだ。
約30年ぶりに小学校時代のクラスメートと東京のど真ん中“銀座”で再会してしまいました。
“銀座”って強調したのは、ボクの田舎が九州・熊本でクラスメートの大部分はあちらに住んでいると思われるから。
そんな中のひとりと1000万人以上が住むというこの大都会で偶然出会えるなんて。
しかも彼女は、初めてハートがときめいた・・・
いわゆる初恋の女の子(うわっ、言葉にしただけでこっぱずかしいッ*^_^*)。
彼女(keikoちゃん)はご主人の転勤で上京。
もう10年も東京で暮らしていたんだそうな。
こういう安直な恋愛映画かテレビドラマみたいなことが起こるから、
人生って捨てたもんじゃありません(^_^;)。


原題:『THE FORGOTTEN』(92分)
監督:ジョセフ・ルーベン
脚本:ジェラルド・ディペゴ
出演:ジュリアン・ムーア
ドミニク・ウエスト
ゲイリー・シニーズ
アルフレ・ウッダード
ライナス・ローチ
アンソニー・エドワーズ
ネタバレしないように書くのに苦労する映画ですね、これ。

簡単にいうと、撮影当時43才位だったであろうジュリアン・ムーアが走って走って走りまくる映画です。
かなり走っても息切れしないところがスゴイ!
でもこれじゃスポ根モノと勘違いしちゃうかも^^;。
深読みすれば、“息切れしない”ことが主人公の置かれた状況を説明してるのかもしれませんが(^^;)。
“記憶喪失モノ”というジャンルを作ったら、結構作品が集まりそうですよね。最近は、「徐々に記憶が消えていくお話」が流行ってるみたいですし。
この作品もそのジャンルに入るのかも。なにしろタイトルが『フォーガットン』ですし(この音の響きは耳に残りますね^^)。
ムーア扮するテリーは14ヶ月前から深い悲しみの中にいました。飛行機事故で9才になる最愛の息子サムを失ったからです。でも、夫(A・エドワーズ:『ER』のグリーン先生)をはじめ周囲はサムのことに触れたがりません。まるで忘れたかのよう。それに憤りさえ感じるテリー。
ところがある日、夫がとんでもないことを言い出したのです。「うちには子供なんていない」と。しかも、かかりつけの精神科医(G・シニーズ)までが「子供はあなたが創り出した妄想だ」と。
その上、サムが存在していた証拠(写真やビデオなど)までが家の中からすべて無くなっている。
過去の新聞データからも飛行機事故の記録は見つからないし、近所の人にまで「子供?何をおっしゃってるの?」と怪訝な顔をされる始末。
果たして自分がおかしいのか、それとも裏に何か大きな陰謀が・・・・?
「どんなに頑張っても追加の情報が得られない場合は、第一印象に頼ったほうが好結果が得られる」という心理法則がありますが、せっぱ詰まったテリーはその法則通りに自分の直感を信じて行動を起こします。
・・・と、序盤はすごく面白くなりそうな展開。
さて、このあとは・・・。うーん、やっぱり見ていただくしかないですね。

ちょいとネタバレで、
見た後の私の第一声はというと、
「これは深刻バージョンのMIBだな(^^;)」
でした。

原題:『LOVERS MUST LEARN
ROME ADVENTURE』(120分)
監督:デルマー・デイヴィス
原作:アーヴィング・ファインマン
音楽:マックス・スタイナー
出演:スザンヌ・プレシェット
トロイ・ドナヒュー
ロッサノ・ブラッツィ
アンジー・ディキンソン
『すべての道はローマに通ず』という有名な言葉がありますが、こちらは『すべての恋の道はローマに通ず』とばかりに客船でイタリアはローマへ旅立った若い女性プルーデンスの恋愛修行(?)話。
せっかく伊達男がいっぱいのイタリアへ行ったんですから、現地の男と恋に落ちるのかと思いきや、それはとっかかりだけ^^;。
そのとっかかり男は船内で知り合った熟年紳士ロベルト。どこかで見た顔だと思ったら『旅情』(1955)のロッサノ・ブラッツィだったんですね。
ダンディで女性の扱いも手慣れた紳士ですが、いかんせん歳の差があり過ぎ。最高のキスをしてもらった時は心の中で鳴り響くという鐘の音もあまり感じず、ロベルトもあっさり引き下がって商用でローマを離れてしまいます。
そのロベルトが紹介してくれたのが侯爵夫人経営の宿。

ここでプルーデンス(S・プレシェット)は運命の人である米国人留学生ドンと知り合うことに。ドンを演じるのは、当時の二枚目スター(その後は鳴かず飛ばずの)トロイ・ドナヒュー。
まあ、手が早そうなイタリア人より、言葉も通じて見た目もいい同国人にホレちゃうのは当然かな。遠く故郷を離れて見知らぬ土地にひとりでいるのですから尚更。
けれど、恋のお相手ドンの評判は最悪。プレイボーイで通っていて、恋多きイタリア女性と別れたばかりで、次の獲物を狙っているのではという噂がしきり。
けれど、得てしてそういう相手のほうが恋は燃えるもの。
米国の心理学者ダットンとアーロンの有名な『吊り橋実験』でも証明されているように、ドキドキは恋の特効薬なのです。ワルっぽい相手のほうがドキドキしちゃうので、恋のドキドキと勘違いして燃え上がっちゃうんですね。
案の定、プルーデンスは日に日にドンに心惹かれていきます。
ただ、ドンのほうが噂を気にして紳士であることを誓ったため、一緒にヴァカンス旅行に出かけてもキス以上の関係には発展していかないところが現代人としてはも、もどかしいッ(^_^;)。
おかげでプルーデンスは「思慮分別」「慎重」というその名の意味の通り、清い関係のままイタリア滞在を終えることになります。
そんな消化不良の恋物語ではあるものの、それを補って余りあるのが“観光映画”としての魅力。なにしろ「ローマ(ナポリ)を見て死ね」って言葉があるほどイタリアは見どころ満載の国。古代遺跡の展示場のようなローマをはじめ、二人が巡る北イタリア各地の歴史的遺物や自然を愛でるだけでも幸せな気分になれる映画ではあります。